外国人が…日本に長く居すぎた…と実感するとき
1.山手線のホームで人波を左右に押し分けながらかいくぐり、電車に飛び乗り、ドアが閉まらないように手で押さえ、その間にかばんを電車に引っ張りこむ。その理由が、少なくともあと2分は電車が来ないためだとわかっているとき
(外国では1時間にたった1本の電車が平気で遅れてくる。ひどいときは数日遅れる。)
2.ビルディングのような単語がいったい何音節あるかと思い悩むとき
(英語ではBuildingが「Build ing」の2音節であるのに対して、
日本語は「ビ・ル・ディ・ン・グ」の5音節であることから)
3.自動販売機で、何のためらいもなく紙幣を入れるとき
(海外の自動販売機はお釣りがきっちり出てくる可能性は10分の1以下で、
壊れている可能性は何十倍もあることから勇気がいる)
4.外国人が電車に乗っているのを見て、「わおっ、ガイジンがいるっ」と思うとき
5.初めてのスキーで、新品のロシニョールの高性能なスキー板を持ち、
エアロダイナミックスなスキーウェアとそれに色のマッチしたゴーグルを
装着して登場し、雪かきをしながら転げ落ちていくとき
6.選挙車のスピーカーから騒音・爆音をたれ流されても、「ショーガナイ」と思うとき
(欧米ではあれほどの騒音は違法なところが大半)
7.テレビ番組で一番いいのはコマーシャルだなと思うとき
8.抹茶アイスも悪くないなと思うようになったとき
(Source: moooosan)
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日本人の書いてるブログをけっこう見てるんだけど、好きなのはやっぱり、ごく普通の日常を書いているブログかな。日本はいつもセンセーションに満ち溢れてる国なんだって妄想を吹き飛ばしてくれるんだ。日本にも人が住んでいて、俺たちみたいな日々を過ごしている人もいる。そういうのがとても興味深いんだ。外国人は日本にセンセーションばかりを求めてしまうんだけどね。
官僚や医師、はたまた芸能人など、我々から見ると特権階級に思える人々に対してのバッシングが顕著な国民性。昨今。でももう一度考えて欲しい。それらの人々がその地位を築くまでには、そしてそれを運営することには、僕らには想像をできない人生の対価を支払ってきているということ。もちろんそうではない人もいるだろうけど、全部をひっくるめて非難することは結局僕らの生活や命にブーメランになってくるということを。安全もインフラも、病気をしても治ることも、落ち込んでも元気づけられることも、人生の意味を知ることも、いつも必ず誰かが支えてくれているということを。 努力に敬意のない野暮な人にはならないで。